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 ただ仰向けに倒れなかったばかりだったそうである、松村信也氏――こう真面目に名のったのでは、この話の模様だと、御当人少々極りが悪いかも知れない。信也氏は東――新聞、学芸部の記者である。
 何しろ……胸さきの苦しさに、ほとんど前後を忘じたが、あとで注意すると、環海ビルジング――帯暗白堊、五階建の、ちょうど、昇って三階目、空に聳えた滑かに巨大なる巌を、みしと切組んだようで、芬と湿りを帯びた階段を、その上へなお攀上ろうとする廊下であった。いうまでもないが、このビルジングを、礎から貫いた階子の、さながら只中に当っていた。

 浅草寺観世音の仁王門、芝の三門など、あの真中を正面に切って通ると、怪異がある、魔が魅すと、言伝える。偶然だけれども、信也氏の場合は、重ねていうが、ビルジングの中心にぶつかった。
 また、それでなければ、行路病者のごとく、こんな壁際に踞みもしまい。……動悸に波を打たし、ぐたりと手をつきそうになった時は、二河白道のそれではないが――石段は幻に白く浮いた、卍の馬の、片鐙をはずして倒に落ちそうにさえ思われた。

 晩唐一代の名家、韓昌黎に、一人の猶子韓湘あり。江淮より迎へて昌黎其の館に養ひぬ。猶子年少うして白皙、容姿恰も婦人の如し。然も其の行ひ放逸にして、聊も學ぶことをせず。學院に遣はして子弟に件はしむれば、愚なるが故に同窓に辱めらる。更に街西の僧院を假りて獨り心靜かに書を讀ましむるに、日を經ること纔に旬なるに、和尚のために其の狂暴を訴へらる。仍て速に館に召返し、座に引いて、昌黎面を正うして云ふ。汝見ずや、市肆の賤類、朝暮の營みに齷齪たるもの、尚ほ一事の長ずるあり、汝學ばずして何をかなすと、叔公大目玉を食はす。韓湘唯々と畏りて、爪を噛むが如くにして、ぽつ/\と何か撮んで食ふ。其の状我が國に豌豆豆を噛るに似たり。昌黎色を勵まして叱つて曰く、此の如きは、そも/\如何なる事ぞと、奪つて是を見れば、其の品有平糖の缺の如くにして、あらず、美しき桃の花片なり。掌を落せば、ハラハラと膝に散る。時や冬、小春日の返り咲にも怪し何處にか取り得たる。昌黎屹と其の面を睨まへてあり。

世の中何事も不思議なり、「おい、ちよいと煙草屋の娘はアノ眼色が不思議ぢやあないか。」と謂ふは別に眼が三ツあるといふ意味にあらず、「春狐子、何うでごす、彼處の會席は不思議に食せやすぜ。」と謂ふも譽め樣を捻るのなり。人ありて、もし「イヤ不思議と勝つね、日本は不思議だよ、何うも。」と語らむか、「此奴が失敬なことをいふ、陛下の稜威、軍士の忠勇、勝つなアお前あたりまへだ、何も不思議なことあねえ。」とムキになるのは大きに野暮、號外を見てぴしや/\と額を叩き、「不思議だ不思議だ」といつたとて勝つたが不思議であてにはならぬといふにはあらず、こゝの道理を噛分けてさ、この七不思議を讀み給へや。
東西、最初お聞に達しまするは、
「しゝ寺のもゝんぢい。」
これ大弓場の爺樣なり。人に逢へば顏相をくづし、一種特有の聲を發して、「えひゝゝ。」と愛想笑をなす、其顏を見ては泣出さぬ嬰兒を――、「あいつあ不思議だよ。」とお花主は可愛がる。

 おい山田下りて來い、と二階を大聲で呼ぶと、ワツといひさま、けたゝましく、石垣が崩れるやうにがたびしと駈け下りて、私の部屋へ一所になつた。いづれも一言もなし。
 此上何事か起つたら、三人とも團子に化つてしまつたらう。
 何だか此池を仕切つた屋根のあたりで頻に礫を打つやうな音がしたが、ぐる/\渦を卷いちやあ屋根の上を何十ともない礫がひよい/\駈けて歩行く樣だつた。をかしいから、俺は門の處に立つて氣を取られて居たが、變だなあ、うむ、外は良い月夜で、蟲の這ふのが見えるやうだぜ、恐しく寒いぢやあないか、と折から歸つて來た教師はいつたのである。
 幸ひ美少年録も見着からず、教師は細君を連れて別室に去り、音も其ツ切聞えずに濟んだ。
 夜が明けると、多勢の通學生をつかまへて、山田が其吹聽といつたらない。鵺が來て池で行水を使つたほどに、事大袈裟に立到る。

傳ふる處の怪異の書、多くは徳育のために、訓戒のために、寓意を談じて、勸懲の資となすに過ぎず。蓋し教のために、彼の鬼神を煩らはすもの也。人意焉ぞ鬼神の好惡を察し得むや。察せずして是を謂ふ、いづれも世道に執着して、其の眞相を過つなり。聞く、爰に記すものは皆事實なりと。讀む人、其の走るもの汽車に似ず、飛ぶもの鳥に似ず、泳ぐもの魚に似ず、美なるもの世の廂髮に似ざる故を以て、ちくらが沖となす勿れ。

 雨を含んだ風がさっと吹いて、磯の香が満ちている――今日は二時頃から、ずッぷりと、一降り降ったあとだから、この雲の累った空合では、季節で蒸暑かりそうな処を、身に沁みるほどに薄寒い。……
 木の葉をこぼれる雫も冷い。……糠雨がまだ降っていようも知れぬ。時々ぽつりと来るのは――樹立は暗いほどだけれど、その雫ばかりではなさそうで、鎮守の明神の石段は、わくら葉の散ったのが、一つ一つ皆蟹になりそうに見えるまで、濡々と森の梢を潜って、直線に高い。その途中、処々夏草の茂りに蔽われたのに、雲の影が映って暗い。
 縦横に道は通ったが、段の下は、まだ苗代にならない水溜りの田と、荒れた畠だから――農屋漁宿、なお言えば商家の町も遠くはないが、ざわめく風の間には、海の音もおどろに寂しく響いている。よく言う事だが、四辺が渺として、底冷い靄に包まれて、人影も見えず、これなりに、やがて、逢魔が時になろうとする。

「自分も実は白状をしやうと思つたです。」
 と汚れ垢着きたる制服を絡へる一名の赤十字社の看護員は静に左右を顧みたり。
 渠は清国の富豪柳氏の家なる、奥まりたる一室に夥多の人数に取囲まれつつ、椅子に懸りて卓に向へり。
 渠を囲みたるは皆軍夫なり。
 その十数名の軍夫の中に一人逞ましき漢あり、屹と彼の看護員に向ひをれり。これ百人長なり。海野といふ。海野は年配三十八、九、骨太なる手足あくまで肥へて、身の丈もまた群を抜けり。
 今看護員のいひ出だせる、その言を聴くと斉しく、
「何! 白状をしやうと思つたか。いや、実際味方の内情を、あの、敵に打明けやうとしたんか。君。」
 いふ言ややあらかりき。

侍女一 (薄色の洋装したるが扉より出づ)はい、はい。これは御僧。
僧都 や、目覚しく、美しい、異った扮装でおいでなさる。
侍女一 御挨拶でございます。美しいかどうかは存じませんけれど、異った支度には違いないのでございます。若様、かねてのお望みが叶いまして、今夜お輿入のございます。若奥様が、島田のお髪、お振袖と承りましたから、私どもは、余計そのお姿のお目立ち遊ばすように、皆して、かように申合せましたのでございます。
僧都 はあ、さてもお似合いなされたが、いずこの浦の風俗じゃろうな。
侍女一 度々海の上へお出でなさいますもの、よく御存じでおあんなさいましょうのに。
僧都 いや、荒海を切って影を顕すのは暴風雨の折から。如法たいてい暗夜じゃに因って、見えるのは墓の船に、死骸の蠢く裸体ばかり。色ある女性の衣などは睫毛にも掛りませぬ。さりとも小僧のみぎりはの、蒼い炎の息を吹いても、素奴色の白いはないか、袖の紅いはないか、と胴の間、狭間、帆柱の根、錨綱の下までも、あなぐり探いたものなれども、孫子は措け、僧都においては、久しく心にも掛けませいで、一向に不案内じゃ。

 紫の幕、紅の旗、空の色の青く晴れたる、草木の色の緑なる、唯うつくしきものの弥が上に重なり合ひ、打混じて、譬へば大なる幻燈の花輪車の輪を造りて、烈しく舞出で、舞込むが見え候のみ。何をか緒として順序よく申上げ候べき。全市街はその日朝まだきより、七色を以て彩られ候と申すより他はこれなく候。
 紀元千八百九十五年―月―日の凱旋祭は、小生が覚えたる観世物の中に最も偉なるものに候ひき。
 知事の君をはじめとして、県下に有数なる顕官、文官武官の数を尽し、有志の紳商、在野の紳士など、尽く銀山閣といふ倶楽部組織の館に会して、凡そ半月あまり趣向を凝されたるものに候よし。
 先づ巽公園内にござ候記念碑の銅像を以て祭の中心といたし、ここを式場にあて候。

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 この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫(ごう)も接触していないことになる。洞(ほら)が峠(とうげ)で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。

 大きな行李(こうり)は新橋(しんばし)まで預けてあるから心配はない。三四郎はてごろなズックの鞄(かばん)と傘(かさ)だけ持って改札場を出た。頭には高等学校の夏帽をかぶっている。しかし卒業したしるしに徽章(きしょう)だけはもぎ取ってしまった。昼間見るとそこだけ色が新しい。うしろから女がついて来る。三四郎はこの帽子に対して少々きまりが悪かった。けれどもついて来るのだからしかたがない。女のほうでは、この帽子をむろん、ただのきたない帽子と思っている。

 やがて、白い男は自分の横へ廻って、耳の所を刈(か)り始めた。毛が前の方へ飛ばなくなったから、安心して眼を開けた。粟餅(あわもち)や、餅やあ、餅や、と云う声がすぐ、そこでする。小さい杵(きね)をわざと臼(うす)へあてて、拍子(ひょうし)を取って餅を搗(つ)いている。粟餅屋は子供の時に見たばかりだから、ちょっと様子が見たい。けれども粟餅屋はけっして鏡の中に出て来ない。ただ餅を搗く音だけする。